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被害者の声

「犯罪被害にあうということ」

犯罪被害者は、ごく普通に暮らしていた方が、ある日突然「なってしまう」ものであって、決して特別な存在ではありません。また、それは今に始まったことでもなく、今までもたくさんの方が犯罪被害に遭いその数だけ悩みや苦しみがあったのに、私たちがそれに直接触れてこなかった、触れようとしなかっただけのことかも知れません。

平成16年に犯罪被害者等基本法が成立し、引き続き基本計画制定と、犯罪被害者等への支援は随分進歩したように見えます。しかし、それは「被害者にせめて加害者並の権利を!」と声を上げた被害者やその家族の結晶でした。

では、法律やマニュアルができれば被害者は救われるのでしょうか。決してそうではありません。不幸にも家族を喪った者にとって、全く元通りの生活に戻ることはありえません。けれども、元の生活を取り戻すために少しずつ前に進むことが被害からの回復につながるのだと私は考えています。

1996年、私の長男は全く面識のない相手からの一方的な暴力によって、身体障害者1級になりました。被害直後から「わからないこと」「知りたいこと」「教えてほしいこと」がたくさんありました。しかし、どこに行って相談すればよいのか全くわかりませんでした。当時は「犯罪被害者」という言葉が社会に浸透していなかったばかりでなく、まず、私自身が「息子が犯罪被害者である」「被害者家族である」という認識すらなく、自分から口に出して言うこともありませんでした。現実で起こったことに、また次々とやってくる問題に必死で対処するしかなかったのです。

被害によっていつまでも癒えることのないつらい気持ちを抱えながらの生活でした。

私が誰に支えられ、元気を取り戻したかを考えたとき、一部の方の心無いうわさや言葉に傷つけられたこともありましたが、そんな方ばかりではありませんでした。

具体的には、食事を届けてくださったり、息子の看病を手伝ってもらったり、入院中の洗濯をしてもらうなど、日常生活を援助してもらえたことはとても助かりました。

精神的には、事件前からの知り合いだった親しい友人、同じような事件の被害者、事件後に出会って私を理解しようとしてくれた人たちに支えられてきました。

「分かってもらえた。理解してもらえた。」こう思えたとき、一番救われたような気がしました。まだ公的な組織の援助のない時期で、身近な人たちに助けられてきました。そのようにして、人との信頼関係をもう一度築きあげてきたように思います。


京都府犯罪被害者支援コーディネーター
社会福祉士・犯罪被害者遺族 岩城 順子